豊橋市立南稜中学校   〒441-8134 愛知県豊橋市植田町字的場50番地
TEL:0532-25-1318  FAX:0532-44-3061
Toyohashi Nanryou J.H.S.    
学校紹介>校名・校章・校歌

 校名〜南稜中学校の発足〜      
 昭和22年3月、学校教育法の制定により6.3.3.4制・小中9か年の義務教育・男女共学などが確立した。本校は同法により、南部第二中学校として同年4月1日に創立するも、小学校を仮教場として発足したのである。本部を植田小学校内におき、大崎・野依・大清水に仮教場をおき、当分の間分散存立となった。当時、豊橋市内には10校の中学校が設立されたが、独立中学校校舎を有するのは中部中学校のみで、他はすべて本校同様、校区小学校に仮教場を借用してのスタートであった。授業は困難を極め、教科によっては1日に3教場を巡回しての指導となったため、独立校舎設立の気運は高まっていった。

 昭和23年8月末、東海北陸軍政民間情報教育課長ダグラス・ジョンソンは名古屋に着任するや、学校統合を断行する。未だ校地の決定をみない本校は、この旋風により統合しなければならない情勢となった。この時、豊橋市長 大竹藤知 氏、県教育委員長 神野太郎 氏、市会議員 船井健一 氏等が軍政部へ本校の情勢を具申し、独立を懇請する。その結果、敷地が決定すれば独立を認めるとの回答を得るにいたった。

 昭和23年9月15日、第2代 匹田和夫 校長のもと、南部第二中学校の解散式を行う。この結果、南部第一中学校と南部第二中学校が統合し、南部中学校が誕生した。しかし、校区の南端からの通学は不便極まりなく、地元民の「地元に中学校」を切望する声は日増しに高まることになった。しかし、ダグラス・ジョンソン通達「敷地の決定」は不可欠だったため、大崎・船渡・大清水・植田・野依の各町からの候補地から一カ所に絞るための会合では喧々諤々の議論となり一致点を見いだせないでいた。時の大竹豊橋市長、県会議員、各町選出の市議会議員の尽力で、植田町的場の候補地に決定し、23年12月3日に敷地問題も円満に解決した。

 昭和24年2月1日、植田小学校を会場として地鎮祭挙行

 昭和24年 2月13日着工、校地の約半分は水田であったため、渥美線西側の土砂を運び埋め立てを行った。これはすべて校区民(当時総戸数1400戸)の奉仕活動で行われたのである。一戸あたり3日間の勤労奉仕を課し、北風が吹き荒れる中、時雨が降る中、泥まみれになってトロッコ押しの作業、その中には子を背負った母親の姿も多数あったと記録に残る。

 昭和24年3月15日、第三校舎建前

 この頃から建築委員会では、校区民の民意を反映させた校名の募集を行う。その中から「南稜」「豊南」「梅南」の三候補名に絞り、豊橋市当局に校名の選定を要望した。その結果「南稜」と決定した。

 告示                        豊橋市告示 第15号

 本市議会において中学校設置の議を経て、昭和24年3月31日、設置する中学校
を左記の通り決定する。

               昭和24年3月31日  豊橋市長 大竹 藤知

 校名 豊橋市立南稜中学校
 位置 豊橋市植田町字的場50番地
  
 昭和24年4月1日 豊橋市立南稜中学校開校
  

 校章      
   校章とバッジは職員・生徒からつのり,約50点の中から無記名投票の結果,私の応募したものが採択された。学問に励むようペンを型どった校章,梅田川沿岸の三小学校区(当時)を象徴する三本の水色の線でくまどった梅の花のバッジを胸に,南稜中が名実ともにたくましい前進のスタートを切った年,それが昭和24年であった。
    創立35周年誌に寄せて    北部中学校長 長坂孝雄 氏

     昭和43年10月2日 体育大会にて校旗制定披露
 運動面にも学科の面にも愛校精神の中心になるものいわゆる校旗校歌が制定していないことは一抹の淋しさを着任以来感じてきました。幸い昭和43年11月12日創立20周年記念式を計画する機会に全校職員,PTA役員の賛同を得て校旗,校歌の制定準備に入り,校旗は金城製菓社長の賛同寄付を得て完成しました。  
       35周年記念誌に寄せて  第5代校長 黒田 一 氏
 拡大初代校旗 
職員玄関正面に飾ってあります
       

 校歌      
 南稜中学校校歌
            作詞 金田誠一
            作曲 氷見貞三

一,梅田の川辺 陽に映えて
  潮風 野風 わたる園
  若人われら 溌剌と
  心を籠めてて 学ぶ日よ
   ああ ああ 光まばゆき
   ここは南稜 わが中学校

二,彩なす姿 とりどりに
  潜める力 拓きつつ
  正しく 強く 美しく
  若木の桜 競ひ立つ
   ああ ああ 望みゆたけき
   ここは南稜 わが中学校

三,羽博き高く 舞ひたちて
  明日の代荷負ふ 一筋に
  世界に通う わが誓い
  輝け 永遠に 母校の名
   ああ ああ 栄はるけき
   ここは南稜 わが中学校
 昭和46年(1971) 3月26日  校歌「わが南稜中学校」制定発表
 昭和44年から多年の懸案であった体育館建設が進められ,ついに昭和46年3月26日に体育館兼講堂竣工記念式典が行われた。あわせてできたての体育館にて校歌制定発表会が行われた。
「校歌の制定ですが,学校の理想というか社会に役立つ有能な人間形成の一助として生徒の心に永く刻み込まれるもの,愛校精神の高揚する歌をということで,金田誠一先生に歌詞をお願いしました。作曲は愛知教育大学の氷見貞三先生にお願いしましたが,曲,歌詞ともに格調高いものでした。歌詞は書家である高瀬先生に書いていただき,額に入れて,玄関正面に飾りました。(現在は体育館の校歌額に格納してあります)」
     創立35周年誌に寄せて     第6代校長 山口為吉 氏 
 校歌に歌われる二級河川 梅田川は豊橋市雲谷町に源を発する。雲谷町地元では半尻川と呼ばれ,いったん県境を越え,静岡県湖西市梅田を流れ,そこから梅田川と呼称を変える。潮見バイパス付近から流れてくる境川と合流し,再び豊橋市内へ流れ込み,二川,天伯原と市内南地域を東から西へ流れ南稜校区にて三河湾に注ぐ。 
 校歌に歌われるように,校区梅田川流域は広大な田畑が広がり,三河湾から吹き込んだ潮風が野原を駆け抜ける。梅田川は豊橋市街地と本校区との一線を画すたとえに使われ,記念誌の中にも「優勝旗が梅田川を越える」という表現を度々目にする。
       

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